NAUGHTY BOY KING OF ROCK'N ROLL 忌野清志郎+有賀幹夫写真展 IMAWANO KIYOSHIRO + ARIGA MIKIO

page top

site top

Special Contents

キヨシローを語る Vol.1

SHIMA RYOHEI

志磨遼平(毛皮のマリーズ)インタビュー
撮影・インタビュー&文/有賀幹夫

イントロダクション

3月に大阪から始まった僕の清志郎さん写真展もその後の東京〜札幌〜名古屋と多くの方にご来場して頂き嬉しい日々が続いています。
改めてありがとうございます。

この清志郎さんプロジェクトは僕のようなRCサクセション時代からのファンだけではなく若い世代にRC〜清志郎さんの日本のロックのパイオニアとしてのスゴさを知ってほしい、伝えていきたい、という想いから企画しました。
これはキース・リチャーズの“音楽は継承(パス・イット・オン)”という哲学からの影響です。
つまり「先輩からキャッチした音楽を次の世代に渡していく〜こうしてロックン・ロールは続いていくのだ」、という。
このキースの格言がなかったらこんな大それた写真展の企画はあきらめていたと思います。

最近は若い世代のロックン・ロール・バンドも盛り上がっています。
まさに清志郎さんを伝えていきたい若い世代との出会いも今年は多くありました。

そんな彼らから清志郎さんの話しを聞いてみたいと思い、このコーナーを作りました。

一回目は今年の4月にメジャー・デビュー・アルバム『毛皮のマリーズ』をリリースして快進撃中の毛皮のマリーズ、そのフロントマンでありカリスマとしての評価も高い志磨遼平さんにお頼みしました。

志磨さんとの出会いは今年3月タワーレコード新宿店で高橋ROCK ME BABYさんがオーガナイズされた清志郎さん40周年アニバーサリー・アルバムでもある素晴らしい新作『Baby #1』発売イベント。

他にもTHE ROLLING STONES等僕が撮影してきたバンドやアーティストも志磨さん自身がファンである場合が多く、すぐに仲良くなりました。

彼とは撮影よりも話すために会う事が多いくらいなのでフランクな語り合いになりましたが、あえて僕の話しはカットしました。

やはり世代が違う2人なのでどちらかをメインにしないと話しがわかりにくくなるな、と思ったからです。

それでは現在28歳のロックン・ロール・スター志磨さんが語る清志郎さん、お楽しみ下さい。                                    

清志郎さんの音楽との出会い

すごい小さい時に『パパの歌』、で多分『デイ・ドリーム・ビリーバー』もエースコックのコマーシャル。
で、最初はっきりと意識したのはいつなんだろう?

フワ〜とした記憶なんですけど最初中学生の頃、親父が歌本みたいのあるじゃないですか、コード譜が載っている、それをギターと一緒に買ってくれて。

それに『雨あがりの夜空に』の歌詞とコード譜が載ってて、その下に清志郎さんとチャボさんが一本のマイクで歌っている写真が載っていて。多分80年代前半の頃の。

それまでも、なんとなく忌野清志郎さんというキャラクターはわかっていたんですけど、そういういわゆるロック的な目線っていうんですかね、

「わっ!カッコイイ」って意識したのはその写真が最初ですね。

その頃は僕もストーンズとかを聴き始めた頃でなんかバカみたいですけど「わっ、ミックとキースみたい」って(笑)、

ガキのくせに。

でRCのベストを買ったんですね。何て言ったっけな、おおくぼさんの青い写真のジャケット(「NEW BEST NOW」)。
あれは多分今廃盤で。
曲も後期が多くて『自由』『すべてはALRIGHT』『SUMMER TOUR』『スローバラード』『雨あがりの夜空に』、そーいうのが入っていたベストで、それが最初の出会いだった気がします。        

志磨さん世代にとっての忌野清志郎

僕らの世代はパンクのゴッドファーザーじゃないですけど、パンクスからするマーク・ボランみたいな。
僕らがロックン・ロールというものをわかってきた高校のころFUJI ROCKが始まって。
毎年清志郎さんが出るんですよね。
で『君が代』ですよね、あのインディーズの時の。
「苔のむすまで」ってムースを頭にかけながら「ムースまでジェルまでスプレーまで」とか言って。
それが丹下の格好で。
「なんだ、なんだ、スゲー!」って。

『君が代』とかライブ・ハウス問題の歌(『ライブ・ハウス』) とかで、なんとなく音楽好きな高校生のところには電波が来て。 「なんかキヨシローってスゴいぞ!」、って。 毎年FUJI ROCKにでて、30周年の「RESPECT!」があって、あの人だけは特別だっていう流れが僕らの世代にはありました。 でも、それはそれで僕は違和感があって、RCの若い時の清志郎さんも好きなんで。 「なんかジジイ扱いするなよ、ジェームス・ブラウンみたく言うなよ」、って僕は思ったという。 まあマントショーとかもあったからかもしれません。

RCサクセション〜清志郎さんの魅力

RC〜清志郎さんで僕が好きなのはやはり歌詞が文学的なところはもちろんあるんですけども、イメージがすごく、これ語弊があるかもしれないのですが健康的というか、ユーモアがあって、ストーンズもそうですよね。 僕はユーモアのないバンドはとっつけなくて。

極端に言うとブルース・ブラザースが僕はスゴく好きなんですけど、あの感じというか。 ルーツ音楽があって笑って泣けて、って言うとすごく安っぽくなりますけど、RCが好きなのもそこなんですね。

清志郎さんと自分

僕は自分を清志郎さんに投影して聴いてきたんですけど『わかってもらえるさ』みたいな。
だから逆に言えばわかってもらえないわけですよ、まわりは。
でもいつかわかってもらえるさという・・・やっぱこう文学青年のような感じですね、教室の隅っこでまわりとも打ち解けられず趣味もちょっと違って。
自分の中でだけふつふつとこう、育てる感じでね。
いつかなにかになりたいな、っていうんですかね。
そういう自分の性格だとか境遇とかがやっぱりその、初期のRCとかは特にそうかもしれないですけど。

本当に僕は清志郎さんのことを僕のようやと、おこがましいけどファンですからね、勝手に言っちゃうけど。 「10年ゴム消し」とか読めばもうまるで僕のようや、と思ったし。そんでその後のストーリーがあるわけですから、サクセスの。だから僕もこうなりたいと思ったし、っていう。勝手に同一視しちゃうんですね、清志郎さんのことは。 そこが特別だというか。

青山ロックン・ロール・ショー

お葬式は行きました、ですごく楽しみました。 朝からの用事がなくなってけっこう朝早く行けて。 一時間くらいで入れました。 前の人が「ロック画報」とか読んでて、清志郎さん号の。 で、「読みますか?」なんて回ってきたりして。 「あっ、ありがとう」なんて、なんかコミュニティーみたいになって。で入ったら大きなヒトハタウサギもあって、天気もいいし、すごく気持ちのいい日でした。

清志郎さんは歳をとるということを、全部曲にして音楽にして届けてくれた。

高齢化社会だとか、「歳をとったら自転車に乗って体力つけようぜ」とか、子供ができたら「やっぱり戦争はダメだ、原発はダメだ」って、そうやってずーと教えてくれたので。

で癌の最初のニュースの時に、「新しいブルースを授かったのでそれとうまくつき合って行こうと、受けとめようと」、と
ニュースキャスターがかわりに読んでて。

あの感じが、あーやっぱり清志郎さんだと。

で、そうすると亡くなってしまった時も「なんでー」、とは思わないですよね。まわりは皆言ってたんですけど。

でもカタカナで僕らが言う「キヨシロー」っていうんですかね、それがあーいう時によけいにくっきりと立つという。

お葬式のことをロックン・ロール・ショーと言ったりするのもそうですし。

こう、なんと言うか・・・う〜ん、また新しい前人未到の感じと言うんですかね?

清志郎さんはいつも前人未到だったじゃないですか、新しいことをどんどん、他の人がやらないようなことを。

で、ブルースが好きで「俺はこーやって死んだぜ」っていう。

あーこうやって歳を重ねてまた別なところへ行くんだなー、っていう。

で4万人とか集まって、皆で歌って見送ったという、天気も良くて。

それで清志郎さんが僕にしてくれたこと、そーいうことを返していかないと、と初めて思ったんですよね。

僕はまだ20代ですから、僕は僕で反発心もあるじゃないですか?清志郎さんも「最近の若いヤツらは才能がない、まだまだ安泰だなー」と清志郎さん風に言うじゃないですか?

で僕らは「なにぉ〜〜〜!」ってなってね。

「KINGとか言ってんじゃないよ!」って。

だから力づくで奪うもんだと思っていたんですね、王座を。

でもそれは継承だ、と言うか当番制だ、と気がついたという。

誰かが座っていた椅子に次座るんだという、奪うんじゃなくて。

時間がそうやってこう順番に回していくんだという。

これは僕も何かしないと、と。

自分の話しになっちゃいますけど、清志郎さんの死去が自分の次のアルバムをメジャーから出そうかというタイミングだったので。それがすごく僕の中では決定的でした。

あっ僕はこれからそーいう人になるんだっ、て決めました。

『それすらできない』(メジャー・デビュー・アルバムに収録、ちなみに同『バンドワゴン』という曲は“イマーノ・キヨシローに捧ぐ”と記載)という曲とかその時作ったりして。

(清志郎さんに)してもらったことを、次に僕が誰かに向けてしなくてはならないっていうか。

清志郎さんファンに向けて

清志郎さんを好きな人は僕もそうなので、そう思うのでしょうが、清志郎さんに自分を重ねて曲を聴いたりするというか。
清志郎さんの言葉がわかった人が長い間聴いてきたのでしょうし。
RC〜清志郎さんのファンの方と僕はすごく似ている、と思うんですよね。好きな音楽もそうだと思うし。
きっと性格とかも似ていると思うんですよ。
それで僕はやっぱり曲が書けますから、うん。
なので気が向いた時に聴いてくれたらきっとお気に召すと思うんですね。

僕は続けます、やっぱり。

清志郎さんみたく「天才は死んでから評価されるんだ」なんて言いながらね、ずっとやって。
まあ僕はそこまでは言えませんけど。
でもロックン・ロールだとかブルース、ソウルとか、古いものを皆に伝えて、そうやってずっと生きていたいですね。

志磨遼平の清志郎フェバリット・アルバム&ソングス

アルバム

  • 『Memphis』(一番聴いた回数が多い)
  • 『KING』(最初に観たライブがこのアルバムの時期なので)
  • 『Baby a Go Go』RCサクセション(一番最初に観たビデオが『ミラクル』なので)
  • 『NEW BEST NOW』RCサクセション
  • 『RHAPSODY』RCサクセション
  • 『the TEARS OF a CLOWN』RCサクセション

ソングス

  • 『わかってもらえるさ』RCサクセション
  • 『世間知らず』
  • 『Like a Dream』
    (この3曲は絶対なんです)
  • 『人間のクズ』
  • 『Baby何もかも』

後記

インタビューと撮影は2010年10月11日新宿にて。 毛皮のマリーズ新曲『Mary Lou』プロモーションの為の忙しい日々のなか取材させて頂きました。

志磨さんおよびマネージメント・オフィスであるスプートニクスラボさまに感謝いたします。

最後にインタビュー中のエピソードをひとつ。

志磨さんにとって最重要曲である『わかってもらえるさ』。

僕が「あのギターはすべて清志郎さんなんだよね」と言うとかなり驚き、『えっ!チャボさんじゃないですか?ケンチさんでもない?

知らなかった。あのギターうまっ!』と。

これだけで先輩感にひたってしまった有賀です。     

▲Page Top